【夜葬】 病の章 -50-
村に電気を通そう。
高らかにそう謡ったのは他ならぬ窪田だった。
「おお、電気。そうだな、電気があれば暮らしが随分楽だ」
賛同したのは主に鈍振村出身でない、いわゆる『船』の姓がつかない者たちだった。
「電気なんて必要ない。今のままで十分だ」
そう主張するのは、逆に船姓の村民たち。
意見は真っ向からぶつかりあった。
世は空前の好景気。のちに【神武景気】と呼ばれるほど、日本は高度成長の風元で盛り上がっていた。
冷蔵庫、テレビ、洗濯機が三種の神器と呼ばれ徐々に一般家庭に浸透し始めていたこの頃、すでに電気は国民の生活に無くてはならないものだった。
その必需性を知っている非船姓民たちは、生活そのものには充実感を持っていたものの、電気がないことによる不便さは常に心に抱えていたのだ。
船姓民がその必要性を徹底的に否定し、拒否するにはこの時点で形勢は不利だったといえよう。
なぜならば、彼らもまた戦時中にて多少なりとも生活に便利なものに触れてきたからである。
例えば灯り。例えばバイク。
巷で話題が持ち切りのテレビ、冷蔵庫、洗濯機などの家電は異国の呪(まじな)いの言葉にしか思えず現実味を持っていなかった。
それに今や鈍振村で生粋の船姓民は半数を割っている。すでに非船姓民と家庭を持っている者までいる。
今後子が増え、村の人口が増えてゆけばそれこそ純粋な船姓民はいなくなるだろう。
そういう状態の最中での窪田の提案は彼らにとっても無視できるものではなかった。
「そう簡単に電気を引くことなどできないだろう」
そう訴えた船姓民の言葉も「そんなことはない」と一蹴された。
「今どれだけ電気が普及していると思う? ここが田舎なのは間違いないが、麓に行けば田舎町でもどんどん電気が使われているんだ。今、国は国民に電気を売ることで景気を上げている。ここが山奥だからって電気がこないとは思わない。いや、むしろ喜んでやってくるはずさ」
窪田は勝算ありという含みを持たせ、不敵に言い放った。
しかし、電気代を払う金などないという声に窪田はなんら動じず、「電気があれば仕事なんていくらでもできる」と言った。
実際、本当にこんな村に電気を引けるかどうかは窪田にはわからない。
どういう手続きをして、実現するのかもわからなかった。
だがやってみるだけの価値はある。
村の大多数の人間にそう思わせた時点で窪田の勝ちと言ってよかった。
「それは村の外と関わり合いを持つということかい」
松代が手も挙げずに訊ねる。
窪田はそうだ。と満足気に返事をした。
「その人間と関わるのはどうかと思うがねぇ……」
窪田派の者たちの喚声でその声はかき消され、瞬く間に村に電気を通す方向での議論がはじまった。
「窪田の奴、あんな調子のいいこと言って大丈夫かね」
囲炉裏でパチパチと皮を弾ける音を聞きながら、鉄二は鮎を焼いていた。
「さあ。どうなってしまうのかしらね、この村は」
ゆゆは敬介に乳をやりながら、言葉とは裏腹に興味なさげな声音で返事をした。
余所者ばかりが村にやってきて、電気が通り、そして町のようになる。
そうなってしまえば、自分がここへ逃げてきた意味はどこにあるのだろうか。
鉄二はふとそんなことを考えた。
――だからと言って、俺はこの村の生活を望んでいたかというと違う。
ただ自分の居場所がない。それだけの理由で帰ってきた鉄二は、そもそもこの村のことが嫌いだ。不便な環境も嫌いだし、この生温い静かな生活も心から厭だった。
町に毒されていたわけではない。もともと町で育った鉄二にはそれが健全なものの考え方だった。
それに目の前には死んだまま生きている子供に乳をやっているゆゆ。
数日前にはくり抜かれた顔が喋っているのを目の当たりにした。
鉄二はゆゆが怖ろしかった。
だからこそ、一緒に暮らすことを決断したのだ。
自分の知らないところで、得体の知れないことをしているのを思った時、常に一緒にいるほうが安心だと思ったからである。
それにゆゆは鉄二を慕っている。それだけはいつまでも純真なままだ。
だからここにいたからといって、ゆゆが自分になにかをしてくるとは考えにくい。
それに実際、ゆゆと一緒に暮らしているのは心地が良かった。
一見矛盾しているようにも思えるが、時折垣間見せる異様なところのみに目をつぶれば、ゆゆはよく気が付く世話見のいい女だったからだ。
ただ生きた【地蔵還り】である敬介と生活を共にすることだけはいつまでたっても慣れなかった。
「……ん、おい! 血がでてるぞ!」
そんなことを考えながらふとゆゆを見ると、乳に吸い付いている敬介の頬に一筋の血が流れていた。
「血? そうよ。なにかおかしい?」
だがゆゆはなんら動じることもなく、平然を言ってのける。
鉄二は事態を飲み込んでいないのかと、もう一度「だから血が……」と繰り返そうとした。
「あ、そっか。てっちゃん、わかんないよね」
不意にゆゆが笑う。
予想外の態度に鉄二は戸惑い、へどもどとした。
「ほら、これ」
ゆゆは敬介の頭を剥がすと、今まで吸わしていた乳房を鉄二に見せた。
「……なっ、おま――!」
ゆゆの乳房には突起がなく、母乳の替わりに血が流れていた。
「乳首、噛み千切られたのか!」
「違うよぉ。敬介は赤ん坊だよ? 歯なんてない。だから自分で落としたの」
「そ、そんな! お前正気か!」
「敬介はね、母乳の替わりにこれしか飲まないから」
ゆゆの口ぶりから、乳首を切り落としたのは今という話ではないらしい。
しばらくゆゆの裸を見ていなかった鉄二が知る由もないことだった。
「い、一体いつからだ……」
「もう何年も経つよ」
――お、俺がこの村に戻ってきた時にはすでに……?
「ぎゃむ」
「おーおーごめんねぇ、まだお腹空いてたねぇ。ほら、もっと吸いな」
慈愛に満ちた、母の顔。
子供を愛する温かで優しい母親の顔だった。
ふぅふぅと息を荒くしながら鉄二はぶるぶると手を震わせる。
――なんでそんな顔が、そんな顔ができるんだよ……おまえ。
翌日、鉄二は窪田のもとを訪ねた。
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